信州イスラーム世界勉強会 e-定例会第1弾は、長沢栄治東京大学名誉教授の、「コロナ禍のエジプト滞在記」です!

信州イスラーム世界勉強会

2020年04月18日 12:29

信州イスラーム世界勉強会WEB定例会第一弾は、長沢栄治東京大学名誉教授の
「コロナ禍のエジプト滞在記」
です!











「コロナ禍のエジプト滞在記」                  
           
東京大学名誉教授 長沢 栄治       


科学研究費の調査のためエジプトに3月3日から19日まで滞在した。25日までの予定であったが、新型コロナウイルス感染の急速な拡大により、急きょ帰国することになった。後で述べるようにカイロ空港が閉鎖され、日本側もエジプトからの帰国者への検疫措置が強化されることになった、と聞いたからである。
さて、成田空港を発ったのは、3月2日の深夜であった。エミレーツ航空の機内には空席が目立った。同乗した日本人の方の中にはレバノンに観光に行く団体客の姿も見えた。その後レバノンは、エジプトよりも早く空港の閉鎖措置が出ることになった(3月15日)から、観光客の皆さんはどうされたであろうか。もっともそれより前の3月7日にレバノン財政はデフォルト状態に陥り、大変な騒ぎになったので観光どころではなかったのかもしれない。まあ、他人のことを心配している場合ではなかったのであるが。
トランジットのドバイ空港では、西洋人を中心にして(もちろん日本人らしい人はほぼ全員)、マスクを付けている人が全体の3,4割といった状態であった。カイロ行きの搭乗口では、パスポートの再検査があった。検査するのは、南アジア系の女性の係官であったが、マスクとゴム手袋を着けていたのはもちろん、渡したパスポートには念入りにアルコール消毒薬をスプレーしての対応だった。
カイロ空港に着くと、検疫のチェックがあり、全員が額に体温計を当てられて検温を受けた。そして、少なくとも日本人については、呼び止められて検疫カードへの記入を求められた。カードでは、エジプトでの滞在先と電話番号などを記入させられた。係官は、保健省の女性の検疫官二人であった。対応はそれなりに優しかった(それは普通の対応であるが、30年以上前、ハルツームから空路、エジプトに入国した際の男性検疫官の態度を思い出して、そのように感じた)。その後、入国して3日くらいたったところであろうか、登録した携帯の番号に保健省の係官(と思われる)から健康状態を問う電話が入った。
 カイロに早朝着いた初日、街を歩いていると「コロナ、シーニー(中国人)、アハラン!」とさっそく少年から声をかけられた。だいたい「コロナ!」とはやし立てるのは、こうした悪ガキが多かったが(大人は節度がある)、それにしても「アハラン(ようこそ)」とは・・。「コロナ、ようこそ!」というところがエジプト人の開放的な「人好き」の国民性を表していて面白いが、「アハラン!」はあまりにも呑気なのではないか、と思った。
エジプトで新型コロナウイルスによる死者が初めて出たのは、それから5日後の3月8日であった。紅海の保養地、ハルガダでドイツ人男性の死亡が報告された。その後、3月12日にデルタ北部の主要都市、マンスーラでエジプト人女性が亡くなった頃から、事態は一段と深刻になった。イタリアから移送された親族の遺体に接触したのが原因とも伝え聞いた。日本での報道で知られているのは、二大観光地アスワンとルクソールの間を航行するナイル・クルーズ船で感染者が出たことであろう(3月6日)。その後、エジプトから戻った外国人観光客89名に感染が確認された(日本人2名を含む)。
ホテルで仕事をしながら、ラジオを聞いていると1時間おきに流れるニュースは、コロナの話ばかりで少々気がめいってきた。しかし、コロナ対策の手洗いなどを指示する保健省による注意喚起のラジオ放送は、堅苦しい文語(正則アラビア語)であって、一般の庶民には伝わらないのではないか、と思った。カイロに着いて翌日、友人が経営するダウンタウンの出版社からの帰り道、ウーバーの運転手と話していたら、新型コロナウイルスが話題になると、ほとんど何も知らないことが分かった。そこで道々、訊かれるままに詳しく説明を始めたのだが、この素直な青年をずいぶんと怖がらせてしまい、すまなく思った。
国民の不安を和らげるためであろう、政府もコロナ対策に取り組む姿勢を積極的に示し始めていた。実質的に軍部をバックにした現政権は、他の問題も多くがそうであるが、すべては軍にお任せください、何でも解決します、という姿勢である。たまたま目にしたあるテレビのニュースでは、大学の消毒活動を展開する軍の姿が紹介されていた(3月17日)。面白く感じたのは、ニュースで取り上げられた軍の活動が、カイロ大学などの国立大学ではなく、アズハル大学とカイロ・アメリカ大学の二校であったことだ。それぞれの郊外にあるキャンパスが新しく綺麗であったことが理由だったかもしれない。それにしても世界最古の「大学」を誇るイスラーム教育の中心機関と、エジプトにおける欧米文化発信のセンターのような大学が並んで取り上げられるところが何か示唆的なように思えた。その他、放水車が大車列を組んでむやみに水を撒いているシーンなどを見たが、政府の必死な姿勢を示しているようで印象的であった。
急きょ帰国する直前に、話題になっていたのが、エジプトでの感染者数をめぐる疑惑である(日本もそうであるから、他人事とは思えない)。エジプト政府が発表している公式の感染者数(3月15日時点で126人)に対し、あるカナダの大学の推計(6,270~45,070人)を引用して外国紙が批判した事件であった。これに対し、政府は、批判的記事を流した「ガーディアン」紙の支局を閉鎖処分とし、「ニューヨークタイムズ」紙支局に警告を与えた。同様のメディア規制は他の国でも見られたようである。
こんな事件が起きていた3月16日の午後に、空港閉鎖の知らせが届いた。三日後の19日から月末の31日までエジプトの全空港が閉鎖されるという。19日に筆者が講演する(学振懇話会)ことになっていた日本学術振興会カイロ研究連絡センターの所長、深見奈緒子先生(ご専門は、イスラーム建築史)からの連絡であった。懇話会はもう開けそうにないという話になった。また26日に予定していた帰国便も空港閉鎖に伴い運航中止となるので、空港の再開以降にフライトを延長しようと考えた。エミレーツ航空の営業所はすでに業務を終了している時間であったので、翌日に行くことにした(ネット予約であったら、その場でできたであろう)。
3月17日朝にドッキ地区(ナイル川西岸)にあるエミレーツの営業所に赴いて、4月1日発、ドバイ経由で2日成田着の便に予約変更の手続きをした。営業所は、意外と空いていた。心配のあまり興奮気味の米国人の年配女性とそれをなだめる夫と観光代理店業者、あきらめ顔だが明るい南米系の女性客のグループなどがいた。マスクにゴム手袋の清掃スタッフの女性たちが座席などのアルコール消毒をしていたが、空港の同じ仕事の職員とは違って(給与や待遇も異なるのであろうから当然か)、愛想よくきびきびとして働いていたのが印象に残った。窓口の責任者は女性であった。おそらくお子さんなど家族のことも心配してであろう、スタッフの中で彼女だけがきっちりとマスクとゴム手袋を着けていた。カイロ市内を見ると、東京などと比べてマスクの着用率は低い。ただし、エミレーツの営業所と同じく、高級スーパーのレジの女性店員もマスクとゴム手袋を着用し、フェアトレードのお土産屋では、使い捨てのゴム手袋を着けるように求められた。一番印象に残るのは、ミニバスから降りてきたお洒落な若い女性の姿である。青いマスクに合わせて、ブルーのヴェールを着けた粋なコーディネートに感心した。いろいろな形のマスク・ファッションが、これから日本でも流行るかもしれない。
さて、こうしてフライトを変更した翌日の3月18日になって、深見先生経由で大使館からの新しい情報の連絡を受けた。エジプト政府による空港閉鎖などの状況に対応し、日本の側もエジプトからの入国者に対する検疫措置を21日午前0時以降、強化をするというのである。前日の17日にイランから帰国された山岸智子さん(明治大学教授)から羽田空港で長時間の検疫を受けたというメールをいただいていた。また空港までは公共交通機関(タクシーを含め)が使えず、家族が自動車で迎えにいかなければならない、という話も聞いたので、帰国予定の変更が必要だと考えた。そして、これも深見先生から教えていただいた情報で、エジプト航空の臨時便を急きょ予約して帰国することにした。帰国便がキャンセルになってまだ滞在している観光客や帰国措置となったJICA(国際協力機構)の家族のために、大使館などからの要請があり、エジプト側が特別便を用意してくれたようだ。空港の閉鎖措置とはいっても、空港に到着するフライトを中止していた(入国者を規制していた)だけで、出発する便は必要な場合には許可するということだったらしい。こうしてエジプト航空が用意してくれた二つの特別便の二番目、翌日19日の朝の最後のフライトをウェブサイトで予約することができた。
帰国便のために到着したカイロ空港は、さすがに空いていたが、それなりの乗客の数であった。日本人の乗客の中にはランドセルを背負った男の子などの家族連れも見えた(今回の滞在中、いつものようにカイロ日本人学校を訪問したが、その後の対応に蔦林校長先生はじめ苦労されたであろう)。一方、くつろいだ様子の観光客の皆さんの姿もあった。訪問した遺跡の思い出話などをされていて、ずいぶん堪能されたようである。成田までの直行便の機内は、余裕があり、三つの座席を使って寝て帰ることができた。
成田空港に到着して検疫はどうか、と身構えたが、何の特別の対応もなかった。ただし、同じ機内にいた方で、感染が確認された方がいるとその後に伝え聞いた。しかし、その方はおそらくビジネスクラスの乗客と思われ、筆者が座ったエコノミーの席とはかなり距離は離れていたので、機内などでの感染は受けなかっただろう、と考えることにした。とはいえ帰国後、出発前に御世話になっていた歯医者さんの予約をいったんは取ったものの、大事をとってキャンセルし、その後も通院は控えている。
さて、これも帰国後に分かったことであるが、帰国の前日の3月18日、新型コロナウイルスからの感染を防ぐために、政治犯の釈放を求めるデモを行なった4名の活動家が逮捕されたという。どの国でも、コロナ禍は、それぞれの政権の性格(あるいは実力)、また体制の本質を表すものなのであろう。また、このニュースと関連して、日本では入管収容施設における「3密」が問題だと批判的な報道がなされているように(「東京新聞」2020年4月17日記事)、コロナ禍は、外国人や女性、少数派に対する新たな差別を生み出している。筆者が研究代表者として2016年度から4年間続けてきたイスラーム・ジェンダー学プロジェクト(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~nagasawa/index.html参照)も、新たに科研費の申請が認められ、この2020年度から第二期に入ることになった。世界の人びとを「分断」と「連帯」の狭間に陥れているコロナ禍の問題も、その重要な研究課題の一つとなりそうである。
(2020年4月17日脱稿)


  アズハルモスク近くの露店風景(2020年3月)












 中エジプト・ミニヤ県の農村風景
(排水路わきのゴミによる環境汚染は深刻)


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